人気ブログランキング | 話題のタグを見る

机上の楽園で永遠に生きられますか


1度でいい事を、2度言わなけりゃあいけないってのは、そいつが頭が悪いって事だからです。
by unite69
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
泣き言
もうかれこれ一年ちかく奉仕に出ておりませんので
みんな気づいて来たみたい
一人で夜奉仕してますじゃ無理アルよなぁ



ご意見苦情その他諸々はこちら
unite.bq@gmail.com
最新のトラックバック
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

僕はまだ生きてるよ いきているんだよー

なんだかんだで月日が経つのは大変早いもんです

PCのある我が家のぼろ書斎は、夏の間は危険地帯になりますもんで
なかなか開くことなくすごしていまして、その間にもこんな不毛なブログに
足を運んでくださる方もいて、たいへん恐縮です。

携帯で記事を書けばいいのですが、今の携帯がすごいちっちゃくって
画面も見にくいは、操作もしにくいは、フリーズするは、そりゃもうやってらんないくらい
時代遅れなものですから、ブログもつぶやきも縁遠くなります。
じだいがスマホ真っ最中なのに真逆です。

でも使い込んだものって手になじみますしね。
外装交換して3回目ですがまだまだ使っていたくなるお気に入りです。

意地でも孫さん所のやつは買わんと意地を張っています。
すごいほしいけどね・・・



さてさて

最近の我が家は相変わらずJWと一般人の境界線をフラフラさまよいながら
葛藤と苦悩を繰り返しております。



ここにきてざわざわと動きがありまして。
僕はまだ生きてるよ いきているんだよー_b0154817_092218.jpg



そう
転職が決まりました!


JWからの脱出を掲げての第一歩がこんなにかかるとは思いませんでしたが

いざ覚悟決めて動くと、するすると話が進んで

あれよあれよで内定いただきました。

高卒、自営業、転職複数回、失業期間あり(必要で出ていた間)が
こんなにも足かせになるとは思いませんでしたが

びっくりするタイミングで、よい人たちとご縁ができ
たくさん応援していただいてここまでこれました。


これはまさかの・・・


神のご意思!!


ではなく

いろんな人の善意だったり親切だったりなんだなぁって思います。

こまごまについては、近々のものを書くと身バレしそうなので控えてましたが
そろそろ書いたりしてみようと思います。


まぁ転職→即脱JWというわけにはいか無そうですが
ちょっとづつフェードアウト引越しなど色々と検討中です。

やるなら楽しんで!をモットーに頑張ってみようと思います。

# by unite69 | 2010-09-22 00:27 | 自分のこと

お、兄さん そいつは粋だねぇ

メジャーリーグのデトロイト・タイガース ガララーガ選手が
完全試合を誤審で逃がしたというニュースがにぎわっている

-------------------------------------------------------------------

2日のインディアンス戦でタイガース・ガララーガ投手の完全試合を
誤審で台無しにしてしまったジム・ジョイス審判が3日、タイガースの
本拠地、コメリカ・パークに再び登場した。
 前日は一塁の塁審だったが、この日のインディアンス戦では主審。
ジョイス審判の名前が場内アナウンスされると、スタンドからは一斉に
やじが飛び、「We All Know It Was Perfect」
(われわれはみんな、あれが完全試合だと知っている)
とのボードを掲げたファンの姿も。
 
ファンはまだ誤審に怒り心頭のようだが、タイガースのリーランド監督は
大人の対応を見せた。
 試合前のメンバー表の交換は普通、両軍の監督同士が行うのだが、
リーランド監督は「こいつを持ってってくれないか」とガララーガ投手に
メンバー表を渡し、ジョイス審判の元に届けるように依頼した。
 
ガララーガ投手もこれを快諾。ホームベース付近でジョイス審判と
ガッチリと和解の握手を交わし、メンバー表を手渡した。
 
スポーツマンらしいこの粋な計らいにジョイス審判は思わず号泣。
スタンドのやじも大きな拍手と声援に変わった。

(SANSPO.COM)

-------------------------------------------------------------------

世紀の誤審とまで言われてかなりの非難の声が上がっていたようですが

ガララーガ選手も当の塁審も男前だなぁと感心してしまいます

そもそも完全試合とは
9回27人すべてを出塁させないことで
もちろん、デッドボールやフォアボール
エラーでの出塁も認められないという難関で、投手にもチームメイトにも
かなりのプレッシャーがかかってるでしょう

過去にも9回2アウトまで追い込んでからの被安打で逃した例も何度かあり
つくづくこの記録達成の難しさを伺えるのですが

今回、記録を逃したプレーは判定の難しいものであるとはいえ
ビデオで見ればはっきりとアウトと分かるもの

自分が選手だったらこんな紳士な対応できないなぁ
ぶち切れしてるかも

「パーフェクトな人間などいない」と大きな間違いを寛大に許すのも
「あとで見たら間違えだった。申し訳ない」と素直に謝るのも

どちらも難しい

和解の握手を交わす場をお膳立てした監督の心遣いもニクイし
ブーイングを拍手に変える観客もニクイなぁ


メジャーのこういうところ好きです



大きな間違いでも寛大に許すことや
大きな間違いを素直に認め謝罪すること

見習いたいですなぁ・・・

・・・・・・・・・

別にむりやり誰かさんに当てはめようってわけじゃありませんよ

たまたまそういう感じになっているけど
そんなつもりじゃないですってば

# by unite69 | 2010-06-08 00:20 | ひとりごと

訃   報

元統治体成員で「良心の危機」著者であるレイモンド・フランズ氏が
2010年6月2日に亡くなったとの事


統治体という絶対治外法権体の中での出来事をなまなましく描き出し
その実態が、単なる人間の集まりに過ぎないことを示した功績は
語りつくせないもので

この本を通して脱塔した人も多いのではないかと思います

私個人としては
本の内容の全部が全部 正しいかは分からないというところなのですが

それでも
今まで抱いていた統治体に対する
モヤモヤとしたはっきりしない嫌な感覚にすべて説明がつくその内容は
心の中で断絶するきっかけになったのではないかと思っています

アマゾンで注文するときはちょっと手が震えましたし
読んでいて味わった吐き気にも似た気持ち悪さはいまでも忘れません

現状、此処に留まりつつ組織の行く末見守る立場として
必要な人に組織の実態を伝えていくことも
役割なのではないかと思っております


フランズ氏への心よりの感謝と哀悼の意を表し
ご冥福をお祈り申し上げさせていただきます



情報元: 新・みんなの掲示板 5(管理者possible様)より
http://en.wikipedia.org/wiki/Raymond_Franz

# by unite69 | 2010-06-07 23:10 | 脱・JW

ちょいと,馬鹿馬鹿しい小咄をひとつ・・

公開講演が30分に短縮化されて早2年半が経過しようとしてます

45分だった頃はどうやったら余った時間を埋められるかの戦いでしたが
今やどうやったら削れるかの戦いになって
ますます話し手の技量が現れるようになりました

実際、30分というのはなかなか難しいですね
山場を作るにもボリュームが足りないし・・・
余計なこと言ってるとすぐおわっちゃうし

っていうかほとんどやったことないんですよね30分は
45分のあの苦労・・・もう二度としたくないです

うちの会衆はというと・・・
なんていうか責任感が足りないというか
自覚がないなぁと思う人ばかりです

自分の話が、この集まりの半分を占めているんだということの重大さを
理解していないというか・・・


なんというかこう

どんなに下手な話でも

「兄弟!よいはなしでした!」
「考えさせられました!」
「例えがよかったです」
「あの経験は、どこできかれたんですか?」など
講演者への感謝の言葉はいくつかのパターンに分かれているので
へたくそでもそれなりの感謝とねぎらいを受けれる仕組みになっています

実際聴衆はほとんど聞いていませんから
話す方も割り切ってその程度の準備で挑んでます

わたくしの会衆では
講演を作る時間が短ければ短い方がカッコいい!
と勘違いした風習があり
講演の前日にみんなと飲み会やっちゃってる俺すごくない?的な勘違い野郎も居ました

また、前の日に奉仕に現れて
「まだ資料読んでもいないんだよね」とかうれしそうにおばちゃんに言ってるおばかさんも居ました
実際は、必死にやってるんでしょうけど
講演がうまくいけば、短期間でいい話できる能力アピールにもなりますし
うまくいかなければ、能力がないのではなく時間がなかったアピールになる保険つき
やっぱりその程度の話でしたし

突然集会に研究生やご主人や普通の方が来たときの対応も考えていませんので
そういう方の感想はいつも
「良くわからなかった」
「難しかった」
で終っちゃいます

初めての方がいないなら、そういう前提で話してもかまいませんが
もし、そういう方がいるのなら
分かりやすい資料の運びや言葉使いにしなきゃいけませんよね
準備が大変かもしれませんが、人命がかかっている(と思っている)のだから
それ位しなきゃおかしいもんです


一流の噺家さんは、寄席の入り具合や客層や前座の盛り上がりを加味して
枕や落ちを工夫します
若者が多ければ今時の言葉を入れたり聞き手に合わせるのが一流です

そういう領域になるのは相当の場数を踏んだ人なんですけど
そうじゃなくたって場の空気を読むのは噺家としての最低条件といいます

成り行きで話し作ってなんとなくこなせちゃう僕長老をナントカしないといけないですね


聴衆に匿名で講演の感想をポイント評価させて
ポイントが溜まると昇格とか奉仕時間と交換できるとか
一定期間ポイントがたまらないと降格とか

こないだ背教友達とも話していたんですが

長老は普通の仕事を禁止させて、長老職の働きに応じて寄付から給与を出すようにしたら
きっとみんな頑張るでしょうね
評判が悪ければ生活にかかわるとなれば、ちゃんとやるはずですし
牧羊も決め細やかで愛のあるものになるでしょうし
話も手を抜かなくなるのであれば、成員も寄付が使われることに文句は言いません

統治体の皆さん
これ絶対うまくいくから採用してくれないかなぁ

# by unite69 | 2010-06-07 01:12 | 組織のこと

捨てる神あれば拾う神あり

先回の記事のあじさいさんの書いてくださったコメントを見ていて

ほんと日本のJWの根っこにある風潮だなぁと思います



「捨ててきたもの自慢」



よく大会やら集会やらのインタビューで聞きますよね


私はこれだけのものを後にして来たんです
もちろん手放したくないという誘惑はありました
でも、神に喜んでもらえているので、後悔はありません


こんな感じの内容で

手放したものは仕事に限られることはなく
恋愛、結婚、家族、趣味などなど多岐にわたります

大会では比較的こういう経験、インタビューが多いですよね

それは話し手からすると手っ取り早くて扱いやすいからです

実際に自分の言葉で
「もっと奉仕にうちこみなさい!」
というより
「この経験のように、頑張っていきましょう」
といった方が言葉に角が立たなくてすみますし、
聞き手の記憶に残ります

JW的にいうと「励まされます」ので
困ったら経験入れとけみたいな感じでもあります


でも、こういうインパクト重視の経験がもてはやされるのは
やっぱり良くないですよね

褒められるから
注目を浴びるから

という理由で

人間として心や思いに反する事を積極的にしていて
いつまでも幸福でいられるとは思えないからです


まえに聞いたインタビューで

長年パートナーと開拓奉仕人生を歩んでこられた
50代の姉妹の経験が話されました
姉妹はいいます

「結婚して夫と子供との幸せな生活を送ることを
 楽園までとって置く事に決めています。
 寂しさを感じることもありますが、パートナーと二人
 会衆や野外の人たちの為に自分をフルに使えることから来る
 喜びは大きなものです!」

なんかこう・・・聞いていて胸が苦しくなってしまいました・・・

もちろん、その方は大変立派な方ですから
褒められたいからこういう道を選んだというわけではないと思います
でも1975年世代で、何が正しいとか、何をしたいとか考えるまもなく
とにかく生き残るために必死にやってここまで来た方です

どんなに純粋に自分を捧げて喜べていても
自然と抱く感情(母性愛や異性への愛)を抑えるのは
簡単なことではないと思います

理性ではなくって、本能的にかんじる欲求であるなら尚のことです
本当にそういう感情は捨て去ったのか
沸いてこないように努力しているのか・・・わかりません

そのインタビューの後、大勢の方が感謝を伝えに集まっている様子を見てて
心配になりました

彼女がいつか年老いて
今より活動的に動けなくなって奉仕もできなくなって
いままでの歩みや苦労を知る人も少なくなって
目立つことも感謝されることもなくなって来た時
周りの人が味わっている普通のことをもう経験できないと気づいたとき

その時、彼女は喜んでいられるのだろうか・・・

もちろんそんな事人それぞれで
わたくしの心配することではないんですけどね




若者が信仰を持って生きていくこと自体は否定しません
でも、他人や組織からの評価を気にした生き方はお勧めできないですね

いつかかならず
「いままでやってきて、自分は本当に幸せなのか」
ということに
向き合わなくてはいけなくなると思うからです


会衆や巡回区の友達や若者によく言うようにしていることがあります

それは
「夢を持っているか」ということです

古臭いドラマみたいですけど・・・

自分は何をしているとき本当に喜べているのか
本当は何をしたいのか
霊的なことからちょっとだけ離れてみて
考えてもらいます

そして、
それは霊的な事やら目標と両立させられないのか
考えてもらうようにしています

たいていの事は、エホバの証人として生きていても
両立できることです(重心がどっちによっているかは別にして・・・)

両立させようとすると周りがいろんなことを言うかもしれません
目立ったり褒められたり喜んでもらえたりしなくなるかもしれません
でも、
その人はずっと面倒を見てくれるわけでも
責任をとってくれるわけでもありません

選んだ責任を取るのは自分です

この体制が終わるかもしれない
でも、終わらないかもしれない(終わらないですけど・・・)

「あの時こうすればよかった」とか自分のように思ってほしくないから





なんでもかんでも捨ててしまうのは

mottainai!



もったいないおばけみたく若者に言うのだけど

なにやら良くないことを吹き込んでいる変な兄弟として写っている予感・・・

親の視線が・・・


むずかしいや

# by unite69 | 2010-06-04 22:52 | 脱・JW