机上の楽園で永遠に生きられますか


1度でいい事を、2度言わなけりゃあいけないってのは、そいつが頭が悪いって事だからです。
by unite69
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偉い人にはわからんのです

あちこちのブログで、来奉仕年度の奉仕時間の調整について
書かれていました。

なんでも開拓奉仕は50時間 補助で35時間になるんじゃないかとか・・・


統治体付けの手紙で仰々しく発表されるんでしょうけど
なんか集会減らした時みたいながっかりな理由付けだったら
さすがにそろそろ気づく人達が出てこないか心配です。

いや 気づいて欲しいんですけどね。


奉仕時間の報告という制度そのものが、本来純粋になされるはずの
神への崇拝、賛美の質を落としているように感じます。

ノルマ下げてまで肩書きにしがみつかせたいのでしょうか?
数字さえ報告し、開拓者の肩書きを保ってさえいれば満足なんでしょうか?


昔、開拓者ではなかった頃、仕事やら病気やらで
月の奉仕時間が0時間だった時がありまして、
さすがにまずいと思って無理矢理奉仕に出て時間だけカウントしたのですが
どうしても奉仕したという気持ちにはなれなくて、0で報告した事がありました。

当時はあんまり0時間報告の意味をしらなかっちゃのですが
0報告者は不定期奉仕者カウントに含まれてしまうらしく
それは、長老たちからすると監督不行き届きとして巡回監督から
チェックされてしまう失点らしいのです。

集会後わたしを隅っこに引っ張っていった長老は一言
「今まで切捨てていた奉仕時間とか集めたら1になるんじゃない?」
とおっしゃいました。

それって奉仕なんですか?
賛美なんですかね?

本人が神に対して捧げたんです。
数字に見られない部分の賛美や犠牲だってあるんです。


奉仕の僕として活動していた頃
群れの監督とその群れの伝道者カード(いわゆる奉仕の記録)を一緒に考慮する
取り決めがありました。奉仕の記録からその成員のやる気とか
状況を見極めるのです。

新米だったわたくしは巡回監督にそのカードからどう読み取るのか尋ねました。
その監督は言いました。

「その月の祭日の回数と奉仕時間のバランスから、休日に奉仕を支持できているか

雑誌の配布数と再訪問の数のバランスから、研究を取り決める意思があるのか、

その月の協会の勧める文書やらブロシュアー配布数から取り決めに進んで応じているか

など分かります」

じゃあ数字に表れない部分の奉仕は考慮されないのですか?
なんて怖くて聞けなかったのですが、なんとなくその時肩透かしを食らったような
感じを受けました。
もちろん数字から読み取れる事も微々たる物ですがあります。
でも実際にはその数字に含まれないものの方が多いんじゃないかって気がします。


見えない部分の努力や思い
その全てが神にとって貴重なのではないでしょうか。

偉い人にはそれがわからんのです。


あぁ今月もあと少し。
0報告になりそうだ。
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by unite69 | 2008-08-25 01:03 | 組織のこと
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