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机上の楽園で永遠に生きられますか


1度でいい事を、2度言わなけりゃあいけないってのは、そいつが頭が悪いって事だからです。
by unite69
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もうかれこれ一年ちかく奉仕に出ておりませんので
みんな気づいて来たみたい
一人で夜奉仕してますじゃ無理アルよなぁ



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mottainai ! mottainai !!

私の知り合いのJWに、国立医大を出て土木作業員になった人がいる

20歳そこそこで大手企業の部長ポストを約束されながらフリーターになった人がいる

日本の伝統工芸の職人一家に生まれ若いうちに熟練の技術を習得したのに家を継がなかった人がいる

そう
みんな
開拓者になったから


成功の尺度って人それぞれだし、世間の見方にあわせて職の貴賎を図るつもりもないが
そういう人たちと話していて思うのは
ほんと

mottainai

である

幸せとかどうかの話ではなく
個人的に感じた部分なんで、偏っていたらすみません

でも、そういう人たちがもし、はじめに思っていた道に進んでいたら
また違った人生を歩んで、違った形で社会に大きく貢献できることもあったのかもしれない・・・と


「もし」とか「たら、れば」

の話をしてもしょうがない

他人の話だ

でも考えてしまう

頭の良い彼は、医大を出て医者になり多くの人命を救えたのかもしれない
早くに出世した彼は、大きな会社で能力を生かして生き甲斐を感じたのかもしれない
いま後継者不足に悩む伝統工芸の世界をしょって立ったのかもしれない

などと

何のとりえもない自分が思ってしまう

いま脱JWを図ろうとしている中で
色々なところで自分の人間としての底の浅さを実感したりして
気持ちが落ちるとき、そんなことを思う

あぁ ネガティブシンキングいかん!

# by unite69 | 2010-06-01 22:13 | ひとりごと

おわりのはじまりのおわり

そういえば最近は潜入レポート記事みたいなものをしてないので
わたくしが現役であるかも良くわからなくなっていますが
いちおう通ってます

人生修行の為にですよ

現役の務め?として内部の話はしていかなければならないなぁと
常々思ってはいるんですが

集会に行くと思考が飛んでいってしまう(脳の自己防衛)のです

しかしここはちょっと気になっていた内容なので
書いておこうと思います



2010奉仕年度の巡回訪問の最後の話では
すでに色々なところでも話題になっている終わりのしるしとその世代についての
説明がなされました

雑誌にのっていましたが、まだ集会で扱われていないので
理解していない成員が多かったようです

多分扱われても深く考えない人がほとんどでしょうから
あえて扱ったんでしょうかね

世代に関しては以前からも方向を転々と変えながら
よくわからない方向へタッキング(笑)していたようですが
今回の話をぼんやりと聞いていたらなにやら様子がおかしいので
ノートをとってみました

教理関係はすっかりどうでも良くなっていて忘れちゃってることが多いうえに
さらっと聞いていたので違ってたら誰か追記してください




世代の教理とは・・・(orepediaより)

マタイ24:34にかかれている
この人たちが全滅するまでには楽園は来ますよラインの算定に良く用いられる教え
JWの大好きな教理で
「楽園が来るとかこないとかで信じてるんじゃないの
 エホバを愛しているからお仕えしているの!」
といいながら、みんなが注目する教え 協会の方針
よく変わることで有名
類)クルクル詐欺


近年の移り変わり
① (1992年以前)1914年の世界の状況を見て理解できる一般の世代

② (2008年2月~) 1914年のしるしを認めた油注がれた者(年齢問わず)
   
だったかな?

②の特徴として
今までと違い若い油注がれた追加メンバー(自称)を補充することで
世代の範囲を無制限に広げることができ
終わりが来なくても言い訳が立つ点でした
ネットでもよくとりあげられていました

その記事↓

***08 2/15号のP24 15節***
キリストの臨在
―あなたにとって何を意味しますか

(中略)
ですから,『世代』とは,
ある特定の時代に生きている人々に
関して用いられる場合,
終わりのあるもので,
極端に長く続くものではない,
と言えるだけで,厳密な長さを述べることはできません。

それゆえ,マタイ 24章34節に記されているように,
イエスは「この世代」という表現を用いることによって,
『終わりの日』がいつ終わるかを
算定するための手がかりを与えたわけではありません。

それどころかイエスは,
『その日と時刻』を弟子たちは知り得ない
ということを強調したのです。
―テモ二 3:1。マタ 24:36」



世代が広い範囲であって無制限ではないが予測不可能である
ていうか算定するなんていけないんだよ!

という感じの駄目押しも含まれてましたデスカね
オマエガイウナ!と言う突っ込みは無しでね


そして③回目

*** 2010年4/15号 エホバの目的が遂げられてゆく過程での聖霊の役割 ***

では


この語は普通,ある特定の時代に
生涯が重なる様々な年齢層の人々を指し,
その世代は極端に長いものではなく,
必ず終わりを迎えます。(出1:6)



表現が少し変わりましたね
生涯が重複するという言い方にご注意ください



それは,しるしが1914年に明らかになり始める時に
生きている油そそがれた者たちの生涯と,
大患難の始まりを見る油そそがれた者たちの
生涯とが重なる,という意味であったようです。
その世代には始まりがあり,もちろん終わりもあります」。



とここで説明がスパッと終わって次の話題に行っています

ちょっと言い方が変わっただけかのような印象を受けますが

2010年6/15号の年次株主総会の報告の記事にはもうすこしくわしくかかれておりました

ジョン・バー兄弟は、
マタイ24章34節の
「これらのすべてのことが起こるまで、この世代は決して過ぎ去りません」
という言葉に言及し、

「それはしるしが1914年に明らかになり始めるときに生きている
油そそがれた者達の生涯と
大艱難の始まりを見る油注がれた者たちの生涯とが
重なる、という意味であったようです」

という文を2回読みました

「この世代」の厳密な長さは分かりませんが、それには生涯の重なるその2つのグループが含まれます

油注がれた者たちの年齢は様々ですが、その世代をなす2つのグループの人々は終わりの日の期間
同時に存在します

ですから
1914年以降しるしが明らかになったときに
それを識別した年上の油注がれた者達と同じ時代に生きる年下の油注がれた者たちすべてが
大艱難の始まるまでに亡くなるということはないでしょう
これはじつに心強いことです



とあります

今回の3回目の変更はようするに
1914年のしるしが明らかになり始めるときにそれを理解できる油注がれた者(第一世代)と
生涯の重なっている若い油そそがれたもの(第2世代)が死ぬまでにはきますよ
っていうことなんでしょうかね

っていうか
重なるってどこから出てきたんだ?
根拠ないじゃないか・・・

いや、ちょっとまってくださいね

それより
②では終わりの時期を無制限に延長可能にしておきながら
今回は終わりの時の試算ができるようになちゃいませんか?

昔に戻っておる気がするのはわたくしだけか・・・

この方法だとあと20年くらいの間に第二世代は亡くなってしまう気がするのですが

その頃になったら、その第二世代と生涯が重なる第三世代がなくなる前には来るという意味です・・・
第四世代が・・・と
延長していくつもりなのでしょうか

とにかくもうこじつけとか理解とかもうそんなレベルではなくなって来ていますが
もう、どうでもいいですね
信じてる人も少なくなってきてるんでしょうし

だからこそのこの変更なのか・・・

巡回監督の話では
この点に触れながら、時の緊急感を再び強調していました
「いまのメンバーで大艱難のはじまりを見るのです!」
見たいな事を力いっぱいして話してました

そんなこと言ってるけど、あんたそれまでに死ぬよ・・・きっと・・・

という突っ込みはしないでおきましょう
本人もうすうす分かってると思いますから

そんな風にしてでしか信者をつなぎとめて置けない組織としたら
もう、ここはやばいのかもね


しかし会衆内では老齢の姉妹や家族がJWから離れている方が大勢いるのですが
みな目を押さえて泣いていました

なんか複雑でしたね
今までつらい状況を耐えてきた方々の期待の涙も
もう、家族は間に合わないと感じて流したのかもしれない悲しみの涙も・・・
どっちにしても外れるんですから

もういい加減振り回すのはやめてほしいです
みんな心穏やかに静かに暮らさせてあげてください・・・

# by unite69 | 2010-05-30 20:27 | 組織のこと

愛と挨拶を言付かってきたのでお知らせします

会衆内の発表って場所場所で変なルールがあるようですけど

愛と挨拶制度ってだいぶ前に廃止されましたが
あれも良くわからない風習でしたね
海外でもやってたんでしょうか

あれのおかげで、休暇で出かけるときも
出先の会衆からの愛と挨拶をもらって来ないと
集会を休んでることがバレルなんて事が結構ありました

”愛と挨拶”なんてウスラ寒い言葉使っても結局監視されてたみたいで
なんか嫌だったなぁ

というか
愛と挨拶を預かってくるって具体的にはどういうことなんだ!

行ったのにほとんど声かけられない会衆に行っても
愛と挨拶を貰って来たといえるのか?

表面的ニヤニヤスマイルのおっさん達と握手しただけで
愛は伝わってこないのだが、それでもOKなのか?

「なんかこの兄弟、しょっちゅううちの会衆に来るわね だれか狙ってるのかしら?」って
おばさんたちに思われているあの兄弟も、
自分の会衆に帰ったら「愛と挨拶を貰ってきた」と言っているのか

そこに愛はあるのか?

疑問は尽きなかったのですが

廃止されたおかげで、どうでも良くなってありがたいことです

集会をサボっても「ほかの会衆に行ってました」が
堂々心に責めを負うことなく言えるので大変ありがたいことです

# by unite69 | 2010-05-27 23:14 | ひとりごと

ロールスロイスは故障いたしません

世界に名だたる優良企業には決まって伝説的な逸話が存在します


言ってしまえば都市伝説のような完全嘘っぽいものもあるし
そこならありそうだなぁと思わせるものもあります

わたくしの好きなお話で
イギリスの超高級車メーカーのロールスロイスの伝説があります

よく知られているものかもしれないんですが
要約するとこんな感じ↓


とあるお金持ちがRR社製の車で砂漠だかアフリカだかを走っていたところ
突然車が故障してしまいました
人里はなれたところだったので途方にくれたこの人は
とりあえず無線でRR社に連絡をすることに
すると、すぐに輸送ヘリでスタッフが新車を届け交換して帰っていたという
(整備士スタッフがヘリできて直して帰ったバージョンもあり)

そのお金持ちが感激して電話をし請求について問い合わせたところ
「ロールスロイスは故障いたしません」といわれ一切の請求をされなかったという・・・


真偽のほどは確かではありません
(たぶん脚色されたものだと思いますが・・・)

でもかっこいいですねぇ

5000万円オーバーの超高級車メーカー
ロールスロイスのサービスや安心感をあらわしている逸話だと思います

こういった話は何にもないところから出てくるのではなく
その企業の信念だったり特徴が一般的にも知られるようになって初めて語られたり
するものだと思います

自動車メーカーに限ったことではないですが
こういったクレームや問題に対してどういった対応をするかで
その組織全体の質がわかるのではないでしょうか

例えば夢を提供することで知られているディズニーにも
同じような心温まる対応についての様々な話がありますよね


こと、営利が絡んだビジネスでも顧客満足が問われるのですから
仮にも愛を説く宗教団体ならこういった神対応についての伝説みたいなものって
あってもいいと思うんですが・・・
エホバの証人の話っていまいち感動するものってないですよね

よく大会の最後に会場関係者やらホテル従業員からのコメントなどの
JWすばらしい人達だ的コメントが発表されて、ワーッって拍手なりますが
あれは、こちらがお客なのですから当たり前です

それよりも前の記事のコメントにあったような
融通の利かない車椅子とベビーカーみたいな残念な話をよく聞く気がします

近くの会衆で改装があったとき
科学物質過敏症の姉妹一人の為に壁紙のランクを上げられないと
のたまった長老が居ましたっけ

宗教団体の癖にプロ意識が足りないんですね
もうちょっと意識かえてかないとお客離れていっちゃいますよ

# by unite69 | 2010-05-23 21:25 | 組織のこと

そういう意味では英才教育

大会レビューなんてする気もなかったので
完全にノートをとっていなかったんですが

ノートってんで思い出しました
ご存知の方多いでしょうけど
エホバの人々は集まりのときに一心不乱にノートをとるんです
老いも若きも男も女も

基本的には

話の主題
話し手の名前
左側に聖句
右側に聖句の説明やら補足やらを書き入れていきます

小さな子供はノートなんて取れませんので

親が蛍光ペン等で

大きくエホバ
とか
イエス
とか
パウロ
と書いた字の上を2時間ひたすら鉛筆でなぞらされるという
とんでもなく非生産的で
なおかつ逆らったらムチという心理的圧迫のおまけつきという
苦行を小さな頃からなされます(全部の家庭ではありませんが・・・)

放任主義の家庭であれば、なんとなく子供向けの書籍などを手渡され
適当に塗り絵するパターンもあります


わたくしの世代何ってのは、親がガチガチのところが多かったと思うので
みんな必死に書いていました
あのときはまじめだったなぁ



話に集中する、記憶の助けにする
という意味では講演時のノートは役に立つと思いますが

いかんせん記憶しようとする内容が内容なんでね

一生懸命ノートはとるんですが
ほとんど記憶に残らないか
解読すらできないノートになります




わたくしは、現役で一生懸命やってる頃は
マインドマップという手法でノートをとっていました

そういう意味では英才教育_b0154817_021510.jpg
トニーブザン著

ビジネス方面では最近は当たり前のように取り上げられているので
ご存知の方も多いと思います

このノートのとり方に関しては説明が難しいので詳しくかけないんですが

要するに、脳の仕組みや人間の学習の仕組みに沿った書き方で
まとめようとする概念や考え方を非常にコンパクトに効率的に理解、記憶しやするものなんです

書き方が一般のノートと違って、紙の真ん中にその概念となる考えを一言で言い表し
そこから放射線状にキーワードやイメージを広げていく書き方で
色々な色や、絵を使って書いていきます

う~うまく説明できない・・・

なんとなくのイメージですが
話し手が持っている筋書きをこちらが聞きながら作っていくような感じになります

ただ単調に聞いたことを書いていくよりは何倍も頭を働かせるので
うまく書けると、ほんとに脳が疲労した感じになってお腹がすごいすきます ほんとに
これ非常に面白いんですが・・・

これで公開講演ノートをとると

話しての技量がはっきりわかってしまいます
話し手がきちんと筋書きを消化して話してれば、聞きながらきれいなノートになりますが
上から順番にただ話している話し手の場合
マインドマップはぐちゃぐちゃになります

なんていったってJWの講演筋書きは
人間の思考では理解不能な話の展開ですもん

意味のわからない展開をする筋書きを
理解できてない人が
たいした準備もなく話すわけなんで
当然ノートはぐちゃぐちゃに

講演の筋書きってなんであんなに頭の悪い順番にならんでるんでしょうか

ビジネスでは役立つマインドマップ

JWの講演には向いていなかったですね

でもお勧めです

# by unite69 | 2010-05-11 00:29 | ひとりごと